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2012年11月02日

「特別」と「平均」という言葉からみえる社会のありよう

代表の井ノ上です。

花火 障害当事者のつぶやき

 「軽視もされず、強調もされず、特別扱いもされず、普通に生きていきたい。バリアフリーはその願いを叶えてくれない」という障害当事者のつぶやきを聞いたことがあります。
バリアフリーは、特定の障害にかかわるバリアを除くことに目的をもっているので、いわば特別な配慮です。「特別」という言葉は、確かに分離感を生みやすいものです。自分に障害がないと考える人々は、特別ではない存在として、障害について他人ごとに思ってしまいがちです。

「特別」と「平均」という言葉からみえる社会のありよう

花火 「Hi!みのり」の主人公
 私自身、曾祖父が盲人であったため、曾祖父お気に入りの菓子を買いに行くのが、小学校にあがる前の私の「おてつだい」だったのですが、曾祖父が亡くなった後は、世の中に障害のある人がいることについてすっかり忘れてしまったような毎日を送っていました。

 障害のある人との生活を日常化して捉えられるになったのは、25年ほど前、盲学校(現在・視覚特別支援学校)の非常勤講師を頼まれたのがきっかけでした。受け持ったのは高等部普通科の1年生。かわいい女の子二人っきりのクラスでした。そのうちの一人が、こんなにたくましい女性に成長するとは。。。

 彼女は盲学校卒業後、京都の大学を卒業し、在学中にダスキン障害者リーダー養成海外派遣事業16期生として研修留学。数年後、下肢にも障害があらわれ、複合性けいせい対麻痺と診断されたにも関わらず、「水俣を子どもたちに伝えるねっと」のメンバーとして視覚障碍者も鑑賞できる写真展を企画したり、持ち前の負けず嫌いな性格と強い好奇心、さらには、風をきって走りたいという強い願いがエネルギーとなり、ハンドサイクルを使ってのニューヨークシティマラソンに参加、完走してしまうのです。

花火 「誰をも排除されない社会」を目指して
 今までの街づくりは、だれでも難なく利用できることはあたりまえの権利であるにも関わらず、「平均者・多数者」にあわせて作られてきましたが、静岡県や浜松市ではバリアフリーを超えたユニバーサルデザインという理念を掲げた街づくりが積極的になされるようになり、ハードの部分では随分変わりました。

 障害のある人が街中に出ることで、社会は変わります。人々の想像力を強くし、他人ごとではなく、自分ごととして社会のあり方を考える人が増えるからです。こうした積み重ねが本物の誰をも排除されない社会をつくっていきます。街中にある市民活動センター(西部パレット)の移転問題にN-Pocketが関わった理由は、そこで芽吹いた多様な人々による活動の場を閉じることは、まさにこうした社会をつくる「未来への投資」をやめることになると感じたからです。

 さきほどご紹介した女性は、二重の障害を抱えているからこそ見えた社会の姿について感じたことそのままを本(「Hi!みのり」)に書き著しましたが、はっとするような指摘があります。ぜひ「Hi!みのり」の中で、今の社会の「特別」と「平均」について考えてみませんか。


「Hi!みのり」 これから出版 1575円 愛知県・静岡県の書店にて販売中。
 N-Pocket(浜松市佐鳴台ホワイトストリート沿い)でも取り扱っています。


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